fc2ブログ

チベット高原

 金曜日なんで、酒を飲んで出来上がっている。
 日課である『スプートニク』や『ミリタリーレビュー』をチェックするのも億劫。


 『プライムニュース』も『報道1930』も『深層NEWS』も、つまらないんでチャンネルを変えたら。
 NHK『チコちゃんに叱られる!』で、「チベット高原がなかったら日本に梅雨はなかった」と主張していた。
 その結論の部分しか見ていないが、
 チベット高原-ヒマラヤ山脈が日本の気候に影響している。
 夏にアホみたいに日本が暑くなるのも、
 チベット高原で雨が降って、日光を遮る雲がなくなってしまうから。

↓クリックお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へ

対流

 またハドレー循環について。

 ガスコンロって使ってますか?
 あれでも空気が暖められる。
 空気が暖められたら、上昇気流(風)が発生する、
 と、お前らは主張するのだが。
 ガスコンロを使って風が発生したら大変じゃん?
 鍋がひっくり返るじゃん?
 そんな経験ありますか?

 暖められた空気が上昇するのは、対流によるもの。
 冷たい空気が暖かい空気の下に入り込み、
 冷たい空気と暖かい空気の位置が交換されることで、
 暖かい空気は上昇していく。
 これは上昇気流(風)ではない。対流。

 風は気圧差によって発生する。
 気圧とは何か?と言えば、空気の重さによる圧力。
 「空気の海の底」で暮らす私たちには、上空までの積みあがった空気分子の重さがかかっている。
 目の前にある空気分子の、上空まで5個の空気分子が積みあがっているのを標準とすれば。
 低気圧は空気分子2個とする。
 (大気圏は100kmらしいから、1個の空気分子の大きさは50km、とする)
 大きさは大きいけど、重さは空気分子2個分だから軽い。
 空気分子の重さによる圧力も低い。

 高気圧の空気分子は10個とする。
 (高気圧の空気分子の大きさは10km)
 高気圧の空気分子は小さいけど、一番下の、私たちが生活している階層の空気分子には、
 積みあがっている空気分子10個分の重さによる圧力がかかっている。
 圧力が強いから、押されて空気分子は小さくなっている。

 この、低気圧の空気分子と高気圧の空気分子が接触したら、
 空気分子の大きさは平衡化される。
 膨張している低気圧の空気分子は収縮し、
 収縮している高気圧の空気分子は膨張する。
 このとき風が発生する。
 風は気圧差によって生じる。

 で、ガスコンロを使ったときは、気圧に変化は無い。
 だから風は発生しない。
 積みあがっている空気分子の数に変化はなく。
 空気分子5個だとすれば、
 一番下の暖められた空気分子が、一つ上の空気分子と位置を交換して、
 暖められた空気分子が上昇していくだけ。
 積みあがっている空気分子の数は5個のまま。
 気圧の変化は無い。
 風は発生しない。
 これが対流。

 対流を上昇気流とするハドレー循環は間違い。

↓クリックお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へ

天気急変

 23日の朝の情報番組で、
 22日の天気急変の解説をしていたが。
 それが、私の嫌いな「ハドレー循環」的な解説で。

 陸地の空気が暖められて上昇気流になり、
 そこへ海からの風が入ってくる、というもの。

 そうではなく。
 海上の空気よりも陸地の空気のほうが暖められやすい。
 太陽の光によって、大地の原子が震動する(熱放射)。
 熱とは原子の振動。
 その大地原子の振動が、空気原子に伝わる(熱伝導)。
 空気原子の振動が大きくなるから、気温が上がる。
 そして空気原子の振動が大きいから、空気分子は大きくなる。
 気温の上昇によって、空気が膨張する。
 空気が膨張すると、気圧が低くなる。
 海原子は大地原子よりも振動しにくいから、
 海上の空気は、陸地の空気よりも暖められにくい。
 陸上の空気は気圧が低く、海上の空気は気圧が高い。

 気圧の違う空気が接触すると、
 膨張している低気圧の空気は収縮し、
 高気圧の空気は膨張し、平衡化する。
 このとき、収縮したほうにスペースができるから、
 空気分子は、高気圧から低気圧に向かって移動する。
 この空気分子の移動が風。
 風は気圧差によって生じる。
 つまり、海からの、水分を多く含んだ空気が陸地に流れ込む。

 で、その空気が陸地で暖められる。
 このとき、対流によって、暖かい空気が上昇する。
 これは対流によるものだから風(上昇気流)ではない。
 (気球って、空気を暖めて上昇させるけど、あれは対流でしょ?)
 (上昇気流(風)を発生させているわけではない)
 (気球に乗ったことはないけど、)
 (空気を暖めることで、風は発生しないでしょ?)
 (風は気圧差によって生じる)
 (対流は、重い空気と軽い空気の位置の交換)
 (ハドレー循環を信じる人たちは、常識的なことを無視している)

 水分を多く含んだ暖かい空気が上空で冷やされる。
 水蒸気が雲になる。
 この、気体から液体に変わるとき、熱(凝結熱)が発生する。
 この熱によって、空気が膨張する。低気圧。
 上空に発生した低気圧の空気と、下方の高気圧の空気が接触することで、
 上昇気流が発生する。
 これが天気急変の仕組み。

↓クリックお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へ

気候変動問題

 気候変動についてはグレタさんが全盛期のときに記事にしていて、それ以上の話はないが。
 ニュースで「COP27」とか言っているんで、また書いておく。

 地球の地軸が傾いているから、夏や冬がある。
 夏の太陽は高い位置に見えて、冬の太陽は低い位置に見える。
 (だから夏は日が長くて、冬は日が短い)
 地軸は傾いていて、地軸が傾いているから気温差(季節)が生じる。

 で、地軸の傾きは周期的に変化している。ミランコビッチサイクル。

 ↓『ウィキペディア』氷河時代
氷河学的には、地球の歴史の中で、地球上に大陸並みの大きさの氷床が存在している時代を氷河時代という[6]。この意味においては、現在も広大な氷床が存在する南極大陸とグリーンランドは、氷河時代が続いている事になる。[6]。また、地球上に氷床がない時代を温室期というのに対し、氷河時代のことを氷室期という場合もある[6]。氷河時代の中でも、中緯度地域まで氷河や氷床に覆われるような、特に氷河の発達した寒冷な時期を氷期という[6][7]。氷期と氷期の間の温暖期で、相対的に氷河が縮小した時期を間氷期という[6][8]。さらに、氷期や間氷期の間にも氷河・氷床の極大期と極小期があり、それぞれ亜氷期と亜間氷期と呼ばれる。

 北極や南極に氷があるから、現在は氷河時代。
 その氷河時代の中で、寒冷な時期を氷期と言い、氷期と氷期の間の温暖な時期を間氷期と言う。
 16000年前に縄文海進が起きたが、そのあたりから間氷期。
 縄文海進の前が氷期。
 (北極や南極から氷がなくなったり、地球全体が氷に覆われた、)
 (という学説もある)

 このように、気候は周期的に変動している。
 二酸化炭素を減らしても、地軸の変化には影響を与えない。


 そもそも「温室効果ガス」は根本から間違っている。

 光を反射する気体を温室効果ガスと呼んでいる。
 水蒸気、二酸化炭素、メタンなど。

 太陽光が地表に当たると赤外線が生じる。
 この地上で発生した赤外線が上空の温室効果ガスに反射され、また地表で赤外線が発生する。
 温室効果ガスが増えると、地表で発生する赤外線が増えて、気温が上昇する。
 これが「温室効果ガス/CO2削減」の考え方。

 温室効果ガスが地表で発生した赤外線を反射するということは、
 温室効果ガスは太陽光も地球外に反射しているということ。

 太陽光と地球が発する赤外線では、どちらが強い熱を発するのか?
 学者は地球が発する赤外線のほうだ、としていて。

 私は「そんなわけあるか」という立場。
 で、もし太陽光のほうが強い熱になるなら、
 太陽光を宇宙に反射する温室効果ガスが増えたほうが、気温は低下する。
 (ビルゲイツは上空にゲイツ粒子を散布して、)
 (それで太陽光を反射することで気温を下げる、)
 (という実験に金を出しているらしい)
 (ゲイツ粒子は、機能として温室効果ガスと同じ)
 (それなら別に、ゲイツ粒子じゃなくてCO2でもいいじゃん?)

 (私とビルゲイツは同じ考え方)
 (「温室効果ガス」な学者は、ビルゲイツに抗議しないの?)
 (ゲイツ粒子はCO2よりも温室効果が高いでしょ?)

 (台風が発生する海域上空にゲイツ粒子を散布すれば、)
 (台風の規模を小さくできるかも)

 なんで学者は太陽光よりも地球の赤外線のほうが強い、と主張するのだろう?

 以前、どこかのサイトで、
 そうでなければ地球は凍ってしまう、というのを見たが。
 理屈として(思弁的に)、地球の赤外線のほうが強くないとおかしい、と。

 しかし、地球の気温がほぼ一定なのは、地球と太陽の距離が一定だからであって。
 こんな、一瞬で反論される理由ではないと思うが。


 で、気候変動問題は科学的には間違っている。
 しかし私は、エネルギートランスフォーメーションは支持する。

 日本が中東から石油を輸入するのは効率が悪い。距離的に。
 (中東のエネルギーはEUと取り合いになるし)
 日本は、近場のロシアから輸入するほうが効率的。

 でも。たしか、ロシア極東にあるエネルギーは、ガスや石炭のはず。
 そうすると、ガソリン価格はこれまでよりも高くなる、かも。
 そうすると、エネルギーの種類を問わない、EVのほうが良い。
 石油製品のレジ袋やストローも無料というわけにはいかなくなる、かも。

 とにかくエネルギーは安いほうがいい。
 それなら「今までどおり、サウジアラビアの石油でいいじゃん?」と言われるかもしれないが、
 しかしサウジアラビアは、もう石油の安売りはしないだろう。
 そこらへんも含めて、効率的なエネルギー構成に変える必要がある。

 そういうことで私は、
 エネルギートランスフォーメーションは支持するが、
 しかし、それに「CO2削減」は考慮する必要がない、という立場。

 EUが化石燃料を使わないのなら、価格が下がるから、それは日本にとって有益。
 EUが「化石燃料を使わない」というポリシーなら、私は「頑張れ」と応援する。

↓クリックお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へ

コペルニクス

 『コペルニクス』高橋憲一(ちくまプリマー新書)を読み終えた。

 ↓『コペルニクス』高橋憲一(ちくまプリマー新書)P13
 コペルニクスの生業は、カトリック教会の小さな司教管区の聖堂参事会に勤務することであり、今日で言えば、行政職の役人といったところだった。天文学の研究は彼にとってあくまでも余技に過ぎなかった。しかしそれはただの暇つぶしではなかった。彼の生涯を捧げるほどの余技だった。

 ニコラウス・コペルニクスはドイツ系ポーランド人。
 (ウィキペディアによると、ポーランド人かドイツ人かで論争があったらしい)
 1473年生まれ。
 この年代に分かりやすい有名人がいなくて。
 時代的な雰囲気をつかみにくい。
 10年後の1483年にマルティン・ルターが生まれる。
 ガリレオは91年後の1564年生まれ。

 ↓『ウィキペディア』ニコラウス・コペルニクス
10歳の時、銅を商う裕福な商売人だった父親が亡くなり、母親のバルバラは既に亡くなっていた。そのため、母方の叔父であるルーカス・ヴァッツェンローデが父の死後、コペルニクスと兄弟を育てた。ルーカスは当時教会の律修司祭(カノン)であり、後に王領プロイセンのヴァルミア司教となった。

 ただし、高橋憲一の『コペルニクス』では、母親のバルバラは、父親のミコワイよりもあとに亡くなった、としている。
 大学入学のときには叔父が後見役になっているから、母親もコペルニクスが十代のときに亡くなっているのだろう。
 大学で医学(と法学)を学んでいて、当時の医学は占星術と関係していたから、天文学もその関係で学んだらしい。
 で、叔父の縁故で聖堂参事会に就職?する。

 コペルニクスの主著は『天球回転論』。1543年出版。
 1543年はコペルニクスが70歳で亡くなった年。
 コペルニクス自身は『天球回転論』を出版するつもりはなかったが、
 コペルニクスの噂を聞いた数学教授ゲオルク・ヨアヒム・レティクスがコペルニクスを訪ね、出版を勧めた。1539年。
 このときレティクスは25歳。コペルニクスの41歳年下。

 この『天球回転論』より前にコペルニクスが書いていたのが「コメンタリオルス(短い解説)」。1510年頃。
 12ページくらいのもので、
 ↓『ウィキペディア』ニコラウス・コペルニクス
コペルニクスは同人誌として「コメンタリオルス」(Comentariolus)を出版し、太陽中心説(地動説)をはじめて公にした。ただしこれは友人の数学者たち数人に送られたものに過ぎず、一般にはほとんど知られていなかった。

 ウィキペディアでは「同人誌として出版した」とあるが。
 まぁ文章の問題だと思うが、
 手書きのものを数人の友人に送り、その友人が写し取って知り合いに送る、という感じだったらしい。
 で、「「コメンタリオルス」のコピーが私的に広まって」(『コペルニクス』高橋憲一(ちくまプリマー新書)P132)天文学者として知られるようになった。

 ↓『コペルニクス』高橋憲一(ちくまプリマー新書)P66
 コペルニクスを研究する科学史家を悩ませる問題は、何の前触れもなく、「コメンタリオルス」でいきなり太陽中心説という斬新で革命的な天文理論の出現に出くわしてしまうことである。伝統的な地球中心説に満足せず、どこに不満を抱き、新理論へと駆り立てた動機は何だったのだろうか? このことについてのコペルニクスの言及は僅かしかなく、その片言隻句を活用しながら推測する以外にない。

 ↓『コペルニクス』高橋憲一(ちくまプリマー新書)P92
 プトレマイオスの月理論への不満とか惑星運動の第二変則性への新たな対応とかといった諸問題は、広い意味で、伝統的な天文学に対する批判である。しかし月理論への不満は、伝統的天文学が観測データを説明できないとか、その予測精度が不十分であることへの不満に尽きるのではない。コペルニクスの不満はもっと根本的なものだった。序文を見る限り、コペルニクスの理論的革新の動機は、彼自身が明言している天文学的伝統の不一致・不確実さしか残されていないように思われる。私は彼がここでは素直に語っていると解釈する。というのも、序文の言い回しは、「コメンタリオルス」の冒頭部分の言い換えと見なすことができるからである。「コメンタリオルス」から関連部分を引用しておこう。

 カリポスとエウドクソス(アリストテレスの同心天球説の実質的創始者)は、同心的諸円を手段としてこのことを引き出そうと試みたが、それらの手段によって彼らは、星の運動におけるあらゆる事柄――星々の回転について見受けられる事柄のみならず、星々があるときは高い方へ登っていったり、あるときはわれわれの方へ下って来るように見えるということについても(つまり、惑星の距離変化のこと)――の説明を与えることができなかった。そういうわけで、そのことは離心円と周転円を手段としてなされるのがいっそう良い見解だと見なされるようになってしまい、ついにはその見解に知者の大部分が賛同しているのである。
 しかしながら、プトレマイオスや他の多くの人々によって、それらについて至るところで提出されてきた事柄(=伝統的な周転円説)は、たとえ数値的には(見かけの運動と)対応しているとしても、小さからぬ疑問点をまたもつと見なされてきた。なぜならそれらの理論は、さらにいくつかのエカント円を想定するのでなければ、不十分だったからであり、またこうした円のゆえに、星はその導円上を、またその固有の中心においても常に一様な速さで動くわけでもないことが明白だったからである。このゆえに、こうした思弁は十分に完全であるとも、また理性と十分に一致しているとも思われなかった。それゆえ、私は以上のことに気づいたときに、完全運動の原理が要求するように、諸円すべてが自らにおいて一様に動かされると、あらゆる見かけの変則性が依存するようになるような諸円のもっと合理的な組み合わせ方法がおそらく発見されうるのかどうか、そのことに私はしばしば思案をめぐらしてきた。


 コペルニクスは大学で天文学を学んだときに、違和感を感じたのではないのか?
 違和感は、自分の中に「ある種の秩序」があり、それに外部の情報が調和しないから発生する、と思う。
 (ソクラテス対話篇のどこかで「調和(ハルモニア)」という単語が出てきたな、と)
 (どういう文脈だったかは覚えていないけど)
 (「自分の中の秩序」というのはスピノザの「どんな珍説であっても、その人の中ではスジが通っている(秩序がある)」から)
 だから、自分の秩序に調和する「もっと合理的な組み合わせ方法がおそらく発見されうるのかどうか、そのことに私はしばしば思案をめぐらし」た。
 この「自分の秩序」が、コペルニクスと大部分の知者では異なっていたのだろう。
 大部分の知者は思弁的だが、その思弁的なことが「自分の秩序」に調和している。
 だから疑問も違和感も感じない。
 (新型コロナウイルスについても、私とお前らでは見解が異なると思うが)
 (両者とも、自分の秩序に調和するものを正しいと思っている)
 (『コペルニクス』で高橋憲一は、ニュートンを完全に正しいと思っているようだが)
 (ニュートンの学説も現象を思弁的に解釈したものでしかない)
 (これに違和感を感じるかどうか)
 (教科書を読んでいるだけでは、違和感を感じることはない)
 (天動説と同様に、思弁的に整合性は取れているから)
 (学ばなければ発見はないが、学んでいるだけでも発見はない)

 まぁ、これは私が、
 ヒッグス粒子のノーベル賞受賞のニュースを見て、
 「そんなわけないじゃん?」と思ったことが、「重力は存在しない説」を考えることのきっかけだったからだけど。
 「重力は存在しない説」が当たっているかはともかく、コペルニクスもそんな感じじゃないの?と。
 もしそうだとすると、「自分の中の秩序」って何なん?って問題になる。
 それは経験的に獲得するものなのか、
 始めからあるが、経験によって、見えなくなっているのか。
 (以上は、判断とは何か?に対する私の仮説)
 (判断の基準が「自分の秩序」だから、「自分の秩序」が歪んでいると、人は仮象を見る)

 『コペルニクス』では、コペルニクスのあとのケプラーやガリレオについても少し書かれている。
 ↓『コペルニクス』高橋憲一(ちくまプリマー新書)P224
 (ガリレオの『天文対話』は、対話を行なっているような形式になっているが)第四日目は潮汐現象を論じている。ガリレオがいかにこれを重視していたかは、本来、書名として『潮汐についての対話』を予定していたことからも明らかである。
(略)

(ガリレオは潮汐現象を公転と自転によるものとするが)この説明は全く誤っていた。潮汐現象の事実と矛盾している――ガリレオの理論では、一二時間毎に干満が生じてしまうが、実際は六時間ごと――のみならず、観測者が地球と共有する運動は知覚されないはずであるから、ガリレオ自身の発見した相対性原理とも矛盾した立論だったのである。

 そうそうそう。
 『天文対話』に、それが書かれていたことを思い出した。
 「重力は存在しない説」が弱いと私も認めるのは、潮汐現象についてまったく説明できないから。
 「なにか思いつかないかな?」と思って、8年が過ぎた。
 ソクラテスの「1+1=2」と潮汐現象を、さしあたり考えることにする。

 と言っても、私の「考える」は、なにか思いつくまでダラダラすることになるんだけど。
 で、思いついたときに、それが妥当かどうか、否定するのが私の「考える」。
 その否定に耐えたら、確度が高くなる。
 だから、思いつかないことには考えようがない。

↓クリックお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へ