fc2ブログ

新型コロナウイルス

 ↓『Bloomberg』世界はまだ理解していない-スウェーデンのコロナ対策指揮する疫学者(2020年6月29日)
 スウェーデンは新型コロナウイルス感染症(COVID19)の死亡率が世界で最も高い国の1つだが、ロックダウン(都市封鎖)を講じないよう政府に助言してきた疫学者アンデシュ・テグネル氏は、同国の戦略が全般的に誤解されたままだと主張している。
(略)
 スウェーデンの戦略は社会活動の大半を続けながら人と人との距離を保つ指針を順守するよう人々を訓練するものだが、世界は長く先の見えない新型コロナとの闘いでまだ第1段階にあるため、長期的な対応ではこうした戦略が唯一現実的な方法だというのが同氏の持論だ。
(略)
 テグネル氏は厳しいロックダウンは一時的には流行を抑制するが、感染の再拡大を阻止できないと懸念している。同氏はロックダウンには回避できない代償もあると指摘。「あらゆる医薬品に副作用があるのと同じように、流行への対策にもマイナスの影響がある」とした上で、家庭内暴力や孤独、大量の失業を挙げている。


 イタリアやニューヨークのように。
 「検査検査」で感染を拡大させた国は、ロックダウンが必要だろう。
 初動でやらかしたら、それをリカバリするのは大変。
 一旦増えたウイルスを、どのように減少させるのか、という話で。

 では初動でやらかさなかった国でもロックダウンは必要なのか?
 スウェーデンはロックダウンは必要ないと判断した。
 スウェーデン以外の北欧諸国はロックダウンした。
 そしたら、死者数の差が顕著になった。

 そりゃ、全員が引きこもっていたら、感染のしようがない。
 それはスウェーデンも分かるが、
 「家庭内暴力や孤独、大量の失業」による死者を考えたら、同じくらいだと考えたのだろう。
 しかし、日本を例にすれば、自粛要請によって、むしろ自殺者は減った。
 「流行への対策にもマイナスの影響がある」だろうけど、その影響は小さかった。
 この点でスウェーデンは、北欧諸国ではやらかした国。
 (でも、そのほかの欧米諸国と比べれば、まだマシ)

 「厳しいロックダウンは一時的には流行を抑制するが、感染の再拡大を阻止できない」
 これも間違っていると思う。
 感染者が少なければ、人体で増殖して吐き出されるウイルスの数も減少する。
 ロックダウンするのとしないのでは、ウイルスの数に違いが出るはず。


 1)未知のウイルスということで病院に殺到した中国・武漢。
 2)「検査検査」のイタリア、ニューヨーク。
 3)対策なしのスウェーデン、ブラジル。

 日本は、この3つではなく、
 4)初動でやらかさなかった上に経済活動を自粛した北欧諸国。
 このグループに入ると思う。
 【ファクターX】なんて存在しない。

 5)最初から、中国から人を入れずに鎖国した台湾。
 超過死亡とか抗体検査とかの結果を知りたい。

 新型ウイルスではあっても、ただのコロナウイルス。
 それに過剰反応して被害が大きくなったのが1と2。
 日本が3を選択していれば、例年のインフルエンザと同じ10000人くらいの死者だっただろう。
 それを許容するとしたのが、スウェーデンやブラジル。
 イタリアやニューヨークのように初動でやらかさなかったんだから、普通にしていれば普通のインフルエンザと同じだ、と。
 死者をできるだけ少なくしようとしたのが4。インフルエンザ以下を目指した。
 そもそも毎年、経済フルスロットルで10000人の死者を許容していたのが狂っていたのではないのか?


 ロシアの死者数が少ないのは、関連死を含んでいないから。
 インフルエンザの流行期にがん患者が亡くなった場合、その死因はがんになる。
 (本当はウイルス性肺炎で、血中酸素濃度の低下でがんが悪化したのかもしれないのに)
 (これまではウイルス性肺炎をCTで診断するという知見がなかった)
 (その知見がなかったから、川崎病の原因も分からなかった)
 新型コロナでも、従来のカウントの仕方をしていると思う。

 東アジア諸国の死者数が少ないのも、ロシアと同様に、関連死を含まないカウントだからだと思う。

↓クリックお願いします。
人気ブログランキングへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へ

議論系掲示板

 『メビウスリング』という掲示板が閉鎖しました。
 ちょっと書き込んでいた時期があって。
 なんか残念な感じもします。


 『2ちゃんねる』の哲学板って、いつの頃からかウンコだらけになって。
 (でも今見たら、東浩紀をヲチするスレとか面白い)
 (あと共産主義関係とか)

 で、(すでに閉鎖されている)『論客コミュニティ』という掲示板に移って。
 でもそこは、嫌いな人を追放する投票システムがあって。
 それは荒らし対策なんだろうけど、あまり良いものではなかった。


 で、次に移ったのが『メビウスリング』なんだけど。
 私がウザ絡みした人が、
 私が書き込んでいないのに、いつアクセスしたか知っていて。
 「この人、管理者だ」と思って。

 その掲示板が盛り上がっているように見せかけるために、
 管理者グループが一般人として、議論しているように見せたり、自演してんのかな?と。
 管理者グループで仲良くやっているのに、私はそれに横槍を入れていて。
 「正直すまんかった」と思って利用しなくなったのですが。


 で、最近テレビを見なくなったので、ネットでなんかないか探していて。
 『メビウスリング』ってどうなっているか見てみたら、近日閉鎖するという告知があって。
 そこの常連のSumioBabaとshinwoodが何を主張していたのか、読み漁ってた。
 とりあえず二人のブログは見つけた。


 で、『メビウスリング』が閉鎖されて。
 なんかもう、そういう議論するのって廃れてんだろうね。
 私としてはキライじゃないんだけど。

↓クリックお願いします。
人気ブログランキングへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へ

ローマ神話

 岩波文庫の『神の国(一)』を読んでいるのだが。
 あと100ページぐらい。
 丸1日あれば読み終わりそうだが。
 そんな集中力はない。

 ローマの歴史も分からなければ。
 さらにローマ神話に話が移って。
 ページを進めてはいるが、まったく頭に入っていない。

 ローマはギリシャを征服したが、ローマはギリシャ文化を取り入れ、
 もともとローマにも神話があったはずだが、ギリシャ神話で上書きされた。

 なんとなく。
 ギリシャ神話は、多神的。
 ローマ神話は、アニミズムに思える。
 多神とアニミズムの違いはなんだ?という話になるが。

 多神は、たとえば「イエスの使徒は偉い」ということで、使徒を神々として崇めたようなもの。
 ギリシャ神話の神々は、人格的な感じがする。
 (ポセイドンの子孫がプラトンだとか、ヘラクレスの子孫がマケドニアを作ったとか)

 アニミズムは、あらゆるモノやコトに神が宿る、みたいな。
 ローマの神々は、そういう側面が出ていると思う。
 単純にギリシャ神話で上書きされたのではなく。

 ↓『神の国(一)』アウグスティヌス/服部英次郎=訳(岩波文庫)P281
かれらは、土地の管理をさえもある唯一の神にゆだねるべきとは考えず、平地はルシナの女神に、山地はユガティヌスにゆだね、また丘陵にはコラティアの女神を、谷間にはウァロニアを管理者としておいた。なおまた、かれらは、たねまきの仕事をすべてまかせておけるようなセゲティアをみいだすことさえできなかったのであって、穀類のたねがまかれて地中にあるあいだは、それをセイアの女神にゆだねようとし、それが地上にあらわれて草木となるときには、セゲティアに、また穀類がとりいれられて収められたのちには、安全に保存されるように、トゥティリナの女神にまかされたのである。さて、それがはじめて草木となるはじめから、穂が枯れるまで、かのセゲティアだけで十分であると考えないものがあろうか。しかし、それにもかかわらず、唯一まことの神の貞潔な抱擁をさげすむあわれな魂を、おののくダエモンにまかせようとして、じつに多くの神々を愛する人びとにとっては、セゲティアだけでは十分でなかったのである。すなわち、穀粒が芽を出しかけるときには、プロセルピナに、茎の小さな節や大きな節ができるときには、ノドウトゥスに、まださやが穂を包みこんでいるときには、ウォルティナの女神に、穂からわれでるように、さやが開くときには、パテラナの女神に、またそれが新しい穂をつけて一面に青々となるとき(略)ホスティリナの女神に、穀物が花をひらくときには、フロラの女神に、乳汁を出すときには、ラクトゥルヌスの神に、熟するときには、マトゥタに、そしてまた、ひきぬかれる(略)ときには、ルンキナにというように、それぞれの管理をゆだねたのである。

 もちろん、この引用を全部読む必要はなくて。
 「ローマの神々はアニミズムっぽいな」と思ってもらえれば。

 で、私が思ったのは。
 アニミズムとは、ソクラテスが言うイデアではないのか、と思って。

 たとえば、椅子には様々なタイプの椅子がある。
 それらに共通する〔椅子〕性があるから、大きさや形が違っても、椅子であると認識する。
 それがソクラテスの「イデア」。
 あるものに「椅子のイデア」が認められれば、それは椅子で。
 椅子から「椅子のイデア」がなくなったら、それはもう椅子ではなくなる。

 で、その「イデア」がアニミズム(ローマの神々)における神性。

 ウィクトリアは勝利の女神。
 あらゆる勝利に共通する「勝利のイデア」を神として。
 その神(の神官)にお布施をすれば、勝利が得られる、というものだろう。
 しかし勝利、それ自体を崇めても勝利は得られない。
 勝利を得るには、勝利を得る「方法」を知らなければ得られない。
 しかし、方法を知らないからこそ(神の神官も知らない)、勝利それ自体を神として崇めるのだろう。

 勝利を与える者「God」がいて、そのGodから与えられた勝利がウィクトリア。
 アウグスティヌスは、
 勝利それ自体であるウィクトリアを信仰しても勝利は得られず、
 勝利を与える者であるGodを信仰するべきだ、
 という主張だろう。

 勝利を与えるのは勝利の女神ウィクトリア。
 幸運を与えるのは幸運の女神フェリキタス。
 ローマの神々は、与える者と与えられる物が同一で。
 だから勝利や幸運など、一つのコトに一人の神がいる。

 しかし、与える者と与えられる物が同じということはありえないだろう。
 勝利や幸運など、無数のコトがあっても、それを与える者は、唯一の神God。
 みたいなことをアウグスティヌスは考えていると思う。

 (なんか、ここらへんの話は、ソクラテス対話編で読んだ記憶がある)
 (その記憶があるから、私がアウグスティヌスをこのように解釈しているのか)
 (アウグスティヌスは、かつては新プラトン主義者だったから、ソクラテスの考えを採用しているのか)

↓クリックお願いします。
人気ブログランキングへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へ

 水圧だと。
 同じ水深なら同じ圧力。
 その水分子の上に、どれだけの水分子が乗っかっているかの、重さの話だから。

 大気の厚さは100kmらしい。
 地上から100km、びっしり空気分子が積み重なっている。
 この空気分子の重さが気圧になる。
 地上は気圧が高くて、上空は気圧が低い。
 これは水圧と同じだが。
 気圧の場合は、同じ地上でも(「空気の海」の底でも)、高気圧や低気圧が発生する。

 パスカルの原理。
 上空の空気は、それにかかる(空気分子の重さによる)圧力が小さいから、膨張している。
 地上の空気は、それにかかる圧力が大きいから、収縮している。

 これに加えて。
 同じ高さの地上で、空気が膨張した低気圧と、空気が収縮した高気圧がぶつかったときどうなるかを考えなければならない。

 膨張した空気は圧力が小さい。
 収縮した空気は圧力が大きい。
 この低気圧と高気圧がぶつかると、圧力が平衡化される。
 低気圧の膨張した空気は、高気圧の強い圧力によって収縮し、
 高気圧の収縮した空気は、低気圧の弱い圧力によって膨張し、
 圧力がつり合う大きさに変化する。

 膨張していた低気圧の空気は収縮するのだから、低気圧側にスペースができる。
 高気圧の空気は膨張するが、
 高気圧側にも空気は1ミリの隙間もなくギチギチに詰まっているのだから、
 膨張するためのスペースは、低気圧側の空いたスペースしかない。
 高気圧側の空気が膨張しながら、低気圧側になだれ込む。
 (上空で飛行機の窓が割れた場合)
 (上空は低気圧。機内は高気圧)
 (その空気が接触したら、機内の収縮していた空気は膨張する)
 (その膨張した機内の空気に押されて、機内のモノは窓から外に「吸い込まれる」、ように感じる)

 これが風。
 だから風は、高気圧から低気圧に流れる。
 (その逆は、原理的にありえない)
 圧力が違うから、風が発生する。
 気圧差がなくなったら風は止む。
 同じ圧力、同じ大きさになったら空気の動きは無くなる。

↓クリックお願いします。
人気ブログランキングへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へ