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新型コロナウイルス

 ブログの更新ができない。
 とりあえず、どうでもいい話で。

 ↓『5ちゃんねる』【国際】今年1月~7月の死者数、日本は前年より17998人減 韓国は前年より6293人増
■死者数
日本
19年1月-7月 813805人
20年1月-7月 795807人(-2.2%)

韓国
19年1月-7月 170070人
20年1月-7月 176363人(+3.7%)


 日本の死者数が減っているのは。
 18-19年は、季節性のインフルエンザが大流行していて。
 大流行しているのに経済フルスロットルだったから、そりゃ人が死にまくった。
 その19年と比べているから、今年の死者は減っているのだろう。

 「インフルエンザの治療薬はある」はずなのに。
 その治療薬は、いったい何人の命を救っているのか?

 「インフルエンザは既知のウイルスだから、人が死にまくっても気にしない」
 という対応は、私は間違っていると思う。
 今年のようなウイルス対策をしていれば、18-19年の死者も減らせたはず。
 (ただ。環境要因(行動様式)で死者を減らせる、という考えが西洋医学にはない)
 (ウイルスに固有の致死率があるという考え方)

 で、新型コロナでの死者は、18-19年のインフルエンザでの死者よりも少ないのに、
 「新型コロナは怖い」と言っている。
 これ、どうなってんの?
 バランス感覚がおかしくない?

 私としては。
 18-19年の、インフルエンザが大流行しているのに経済フルスロットルはおかしい。
 でも、現在の過度の自粛もおかしい。
 軽度であっても、絶対に新型コロナにかかってはいけない、みたいな。
 ちょうどいいバランスを探っていかないといけない。
 だから、「以前のように、経済フルスロットルに戻れる」と考えるのも間違い。


 韓国。
 去年よりも死者が増えている。
 新型コロナの関連死も含まれているのでは?という話になると思うが。
 まぁ、国によってカウントの仕方が異なるだろうし。

 カウントの仕方。
 前にも書いたが、3種類あって。
 1)新型コロナで直接死ぬことはないから、0人。
 (肺炎になって、血中酸素濃度が低下して、それで致命的な症状が出る)
 (その致命的な症状が死亡原因になる)
 2)ウイルスが検出されたら、すべてをカウントする。
 (ウイルスが細胞内に入っていなくても)
 (ウイルスが付着しているだけでも)
 (交通事故でも)
 3)医者の判断で。

 中国武漢では3だった。
 でも、それは批判を受けて。
 「もっと死者は多いはずだ」と。

 日本は2だが。
 まぁこれも、これもおかしいと言えばおかしい。
 もちろん1も、「それはないだろ」となるが。

 だから、すっきり納得できるカウントの仕方がない、というのも現実。
 まぁ、もう他国のデータを見て対策を考える、という状況でもないから、
 国によってカウントが違うというのは、どうでもよくなっているが。
 その国の国民が納得するなら、なんでもいいんじゃないの?

 で、韓国。
 人口5000万人の国で、新型コロナ関連の死者は5000人ぐらい、
 というのが、私が信じられる数字。

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ジョン・ロック

 なんか。
 ぜんぜん読書できなくなって。
 そうするとブログを更新するネタがなくて。

 図書館から借りてきたロックの『人間知性論』は、40ページしか読めなくて。
 継続して、また借りてきたんだけど。
 まぁ、またそんなに読めないだろう。

 『人間知性論』の冒頭に、「読者への手紙」というのがあるんだけど。
 『人間知性論』を読んで気に入らなかったとしても、
 「気に入らない」みたいな反応をしないで無視しろ、と。
 それをそれなりの文量で書いていて。
 (「文量」という日本語はないみたいだが)
 (「文字数」が正しいのか?)
 (でも文章は重さじゃない?)

 ロックの17世紀は、自分の知っていることと違うことを言われたら、
 「キィー、許せない。火あぶりだ」って時代だっけ?
 それに比べたら仏教は自由なところが良い。
 私は仏教徒だが、仏教の本はぜんぜん読んでいない。
 キリスト教関連本のほうが多い。
 それでも仏教的には問題ないはず。

 仏教の結論は「我をなくせ」で。
 その「我」をなくすためにどうしたらいいのか?
 という人生哲学になりがちで。
 でも私の興味は、そういう「どう生きればいいのか」ではなく、
 「我をなくせ」という結論に至る理屈。
 そこらへんを知りたいだけ。

 で、『人間知性論』の冒頭しか読んでいないが。
 神は人間に、人間にとって必要な知性を与えている。
 不平不満が出る人は、与えられている知性を十分に知らないだけ、みたいなことを言っていて。
 それは正しいと思う。
 知れば知るほど、人間は満ち足りる。

 で、ついでに借りてきた解説本『ジョン・ロック』加藤節(岩波新書)を先に読むことにした。
 こっちもまだプロローグしか読んでいないが。
 ホワイトヘッドは17世紀を「天才の世紀」と呼んだんだって。
 確かに、デカルト、パスカル、スピノザ、ロック、ライプニッツ。
 ハズレがない。
 でも、この中でもロックは、認識論、政治学、神学、教育論、経済論と、全般的に成果を出している、と。

 で、問題は。
 ロックは18世紀に広範な影響を与えた。
 その18世紀におけるロックの解釈が、ロックの思想・人物像のイメージになっている、と。
 それもそうなんだろう、と思った。

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当たらない予想

 ↓『JIJI.COM』小沢氏「1年以内に政権奪取」 立憲(2020年09月21日)
 立憲民主党の小沢一郎衆院議員は21日、東京都内で開いた自身の政治塾で講演し、「1年以内に必ず政権を取る」と述べ、次期衆院選での政権交代に意欲を示した。小沢氏は「11月には社民党も(立憲と)一緒になる予定だ」との見通しを示し、「野党がほぼ一つになる。これが効果的に機能すれば絶対に政権を取れる」と強調した。
 現在の菅政権については「あんなひどい安倍政権をそのまま引き継ぐなんてとんでもない。菅義偉首相の新しい体制も非常にもろい部分を多く含んでいる」と批判した。


 小沢一郎が「政権を取る」と。


 私も可能性としては「政権交代あるかもな」と思っていて。

 前提に「安倍晋三亡き後、日米関係は悪くなる」という予想があって。
 でも、日米関係は悪くなるものの、菅政権が乗り切る、というのが本命だが。

 対抗として。
 日米関係の悪化を、立憲民主党に押し付ける。

 自民党総裁選まで、菅政権が何も成果を出さなければ、
 次の自民党総裁は、岸田文雄か石破茂。
 で、解散・総選挙で自民党が負ける。

 政権交代。
 立憲民主党(+共産党)政権。
 こうなると、日米関係は最悪になるしかない。

 自分の予想としては「こっちも捨てがたい」という感じなのだが。

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先天的と先験的

 アプリオリの訳として「先天的」「先験的」が使われている。
 私は「先験的」を、生まれてから物心がつく前、自我が発生する前の、無意識的な(無自覚的な)純粋経験とする。

 もう一方の「先天的」。
 「他」から「自」が発生するのだとすれば。
 親が、時間や空間という認識形式を持っているから、それが子供に伝わる(これも無意識的なものであるが)。魂の分有。
 親の魂は、子供の魂に先行しているのだから、これは「先天的」と言えると思う。
 自分が生まれる前から、(親が)時間や空間を知っていたのだから。
 (親も、そのまた親が時間・空間を知っていたから)

 私としては、こういう使い分けをする。

 無意識的な純粋経験というのは同じだが、
 自分を超越しているのが、先天的。

 ただ。
 「他」が「自」になるのだとすれば、
 すべては超越的で。
 そうすると、すべては先天的、ということになるのかもしれない。

 まぁ、まだ魂の発生の仕方が分かっていないから、
 あやふやな感じで書いているのだが。

 「悪法も法である」
 法という概念も、先天的なもの。
 法の概念を持って生まれてきたのではなく、
 他者が法の概念を持っているから、子供にも法の概念が伝わる。
 だから、「悪法だから、その法律を守らない」となったら、法の概念自体が失われる。
 それは未来に対して無責任な態度。
 法が失われた社会は、動物状態。
 私は輪廻説を否定するが、
 でも「来世のために生きる」は正しい態度だと思う。
 人間社会の秩序は、砂上の楼閣みたいなもの。
 輪廻説を否定すると、そういうことになる。

 算数(数字)も先天的なもの。
 「リンゴ1個が1だ」とか「1個のリンゴに、もう1個加えると2だ」なんて考えるが、
 それは後付けの理屈で、経験的に理解している。
 でもそれ以前に、他者が算数能力を持っているから、それが分有されているはず。

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身分制度

 六道。
 天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道があって。
 現世での行いによって、生まれ変わる世界が違う、というもの。
 でも、これだと輪廻説。
 私は、仏教はそういうものではない、と思っていて。

 現実の世界は、この世界しかない。
 六道とは、個人個人の内部の世界だと思う。
 人によって住んでいる世界が違う。世界観が違う。
 たとえば、話が合わない、日本人と韓国人とか。
 アメリカ白人とアメリカ黒人とか。
 世界観が違うから、日本人にとっては善であるものが、韓国人には悪で、
 韓国人には善であるのもが日本人には悪になる。

 理性と感情、どちらを重視するか、とか。
 韓国人は愛を至上のものとしていると思う。
 でも日本人は、「甘え」として拒絶するでしょ?
 そしたら韓国人は「人でなし」とか批判するでしょ?
 この争いは、世界観が違う、住む世界が違うから。
 そういうのが六道だと思う。

 (人間の証しは何か?)
 (一つには理性であり、もう一つは愛(感情))
 (この理性と愛は相反している)
 (理性にも愛はあるが、理性的な愛と感情的な愛は相反している)
 (愛の意味が違う)
 (私も日本人だからだが、理性こそが人間の証しだと思う)
 (理性の涵養は、自己否定(我をなくせ))
 (愛を至上のものとする世界観では、自己否定の意味が分からないだろう)
 (否定は悪で、負け)

 (「自己否定」とは、わき上がってきた感情を、そのまま発露・表現しないこと)
 (自殺は、感情をそのまま発露することだから、自己肯定)
 (今ある自分の「我」を生かすために、肉体を殺す)
 (そうではなく、肉体を生かすために、(悪い)「我」を殺すのが、善く生きるということ)

 (スピノザが言うように、否定は、自己が小さくなることだから悲しみである)
 (また、ソクラテスが言うように、悪い自分をなくさなければ善くはなれない)
 (ソクラテスは結婚を勧めて「良い妻なら幸福だし、悪い妻なら哲学者になれる」と言ったとか)
 (悪い妻なら、自己が否定される)
 (感情を発露したら、意識は満足してしまうが)
 (感情を抑えると、意識は内省に向かうだろう)
 (自殺は哲学者になることの拒否)
 (人生は、幸福であるか、哲学者になるか、の二つだと思えば、自殺は存在しなくなる)
 (何も知らずに生まれてきたのに、生まれてきたそのままで幸福に生きられる、と考えるほうが間違い)

 (感情をそのまま発露してしまう人というのは、「我思う、ゆえに我あり」の二つの「我」の距離感が近すぎるのだろう)
 (その距離を広くするのは、「我」の否定)
 (人間が社会的に生きるには「我」の否定が必要だが)
 (「我」が否定されると悲しくなり、死にたくなる)
 (という厄介な構造になっている)

 (現代においては愛(感情)を至上のものとする思想が大多数)
 (それは理性の消失であって、ゆえに争いは増えるばかり)

 で、六道の問題は。
 日本人と韓国人は世界観が違うのは確かだと思う。
 でも両者とも、自分こそは人間道で生きていると思っている。
 そうすると相手を、自分よりも劣る世界で生きている、と思うだろう。
 相手の内部世界は見えないから。
 どちらがより人間らしいかを主張するのは意味がないと思う。証明できない。
 (でも、「我」をなくした理性的な者同士は、話が通じるが)
 (感情MAXの者同士は、むしろ自分の「我」を通そうとするから争いも増大する)
 (理性のない感情MAXの者は、誰とも話が通じない)

 で、六道も、カースト(身分)制度に通じるなぁ、と思って。

 現代では愛を至上のものとしているが。
 古代においては理性が重視されていたんじゃないかと思う。
 理性的な民族が上位で、感情的な民族が下位になる。
 そして魂は「他」によって発生するとすれば、
 「他」である親から、最も影響を受けるだろう。
 自分の魂は、親の魂(精神)を分有する。
 それが、身分制度が固定化される根拠になると思う。
 身分制度も、ある思想に基づいたものだと思う。

 しかし、その身分制度がなぜダメなのかと言えば。
 上位の階級ほど、自己否定(「我」をなくせ)の機会がなくなる。
 もともとは理性のある者が上位であっても、歴史を経ると、次第に上位の者のほうが劣化していく。

 理性(知性)は、自己の否定性にあるから(西田幾多郎は「哲学は悲しみから始まる」と言う)、
 神は人間をうまく創られた、と言えるだろう。
 誰も楽勝な人生はない。
 アランは『幸福論』で、「もし自分が豪華なベビーベッドに寝かせられていたら、注意深く生きなければならない」
 と、赤ちゃんに警告する。

 六道の正しい使い方は。
 自分が犯罪を起こそうとしたとき、
 「自分は人間道から外れているなぁ」とか、
 「自分は、修羅とか畜生とか餓鬼とか地獄とか、人間よりも劣っている」
 と自覚することに、六道を使うべきだと思う。

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