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ベーコン/『ノヴム・オルガヌム』

 読んで「しかり」と思ったページをメモっていたんですが。
 あとから読み返すと、なんでそのページに注目したのか、分からなくなって。
 と悩んでいると、本の返却日になってしまうので、なんか書いておく。

 ↓『ノヴム・オルガヌム』ベーコン/訳=桂寿一(岩波文庫)P77
二五
 いま用いられている一般命題は、乏しいひと握りの経験と、最もふつうに起こる少数の個々的なものから、出てきたのであって、ほとんどそれらのものに合わせて作られ、かつその範囲のものである。したがって、新しい個々的なものに導かないとしても、何ら不思議はない。そこで万一前に気付かれず、或いは知られずにいた或る反対の事例が立ち現われると、何か役に立たない区別を立てて救助がはかられる。一般命題そのものを改訂したほうが正しいであろうに。


 お前らは前提を疑うことができないよね?
 それはなんでなんだろう?
 前提は仮説にすぎないのに。
 前提を疑うことで根源(真理)に近づいていくもんじゃないの?

 ↓『ノヴム・オルガヌム』ベーコン/訳=桂寿一(岩波文庫)P78
二六
 我々は講述の便のために、自然に対して用いられる人間の推測をば(軽率で早まったものであるから)「自然の予断」、これに対して正当な仕方で事物から取り出される推理を、「自然の解明」と呼びならわしている。


 「正当な仕方で事物から取り出される推理」が帰納法。

 ↓『ウィキペディア』演繹
帰納に於ける前提と結論の導出関係が「蓋然的」に正しいとされるのみであるのに対し、演繹の導出関係は、その前提を認めるなら、「絶対的」「必然的」に正しい。したがって理論上は、前提が間違っていたり適切でない前提が用いられたりした場合には、誤った結論が導き出されることになる。

 もちろん、帰納法は「「蓋然的」に正しいとされるのみ」だが、
 (いや、だって自然だよ?)
 (人間が十全に自然を知っているわけがないじゃん?)
 演繹法では、前提が間違っていれば、明後日のほうへ進んでしまう。
 そしてお前らは前提を疑うことができない。
 この「前提を疑う」ことに、帰納が必要。
 関連する要素のうちで、イレギュラーなのが今まで正しいとされてきた前提なら、その前提を否定する。
 (何と何が関連する要素なのか、という把握にも知性が必要)
 前提を疑うことができないということは、つまり、お前らは帰納ができない。
 帰納ができない人に、帰納法を説明するには、「単純枚挙」として説明するしかない。
 しかし単純枚挙は帰納法ではない。
 英語ができない人がいるのと同様に、帰納ができない人もいる。
 というか、むしろ、できない人のほうが多い。
 で、帰納ができる人は前提を疑うことになるが、
 そうすると、前提を信じている多数者と対立することになる。
 しかし多数者のほうに、その能力がないのだから、分かり合うことはない。

 ↓『ノヴム・オルガヌム』ベーコン/訳=桂寿一(岩波文庫)P78
二七
 「予断」は、意見の一致のためには充分に強固なものである。なぜならば、かりに人々が同じ仕方で一斉に気が狂ったとしても、彼らは充分よくお互いに合致しうるからである。
二八
 それどころか、同意に迫るためには、「解明」よりも「予断」のほうがはるかに有効である。何となれば、少数の、それももっぱら身の廻りに起こるものから集められた予断は、直ちに知性に触れて想像で一杯にする、これに対して、極めて多様で著しく隔たった事物から、あちこち集められた「解明」は、知性をすばやく動かすことはできない。したがって一般の見解では、それらがちょうど信仰の秘蹟のように、異様で調子外れと見られることも必然である。
二九
 臆見と思い込みに基づく諸学では、「予断」および論理の使用もいいであろう。というのは〔そこでは〕事がらではなく、同意を取り付けることが肝心なのだから。


 コロナ専門家は、解明ではなく「同意を取り付けることが肝心」なのだろう。
 「同意に迫るためには、「解明」よりも「予断」のほうがはるかに有効である」
 「予断は、直ちに知性に触れて想像で一杯にする」
 今も、天動説を信じていた時代と、何も変わらない。

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フランシス・ベーコン

 ベーコンはアリストテレスの自然学(科学)がキライで。
 アリストテレスの『オルガノン』に対して、
 「新しいオルガノン(道具)」=『ノヴム・オルガヌム』を書いた。
 (ベーコンの本業は政治家で)
 (哲学的な執筆は、政治家として失脚した60歳あたりから)
 (65歳で死去)

 ベーコンは「諸学の大革新」という構想を持っていて。
 『ノヴム・オルガヌム』はその一部。
 ただ、ベーコンはすべてが中途半端で。
 構想では六部からなる『大革新』だが、著作になっているのは、
 第一部の『学問の進歩』と第二部の『ノヴム・オルガヌム』だけ。

 『学問の進歩』は岩波文庫から出ていて、アマゾンでは687円。
 ただ内容が、
 岩波文庫の『ノヴム・オルガヌム』の解説によると、
 ↓『ノヴム・オルガヌム』ベーコン/訳=桂寿一(岩波文庫)P246
「革新」のための準備として当時に至る諸学の現状を調査する意味で、主としてその区分・分類が取り扱われる。哲学史が説くように、そこにも種々興味ある着想も見出されるのであるが、しかしそれはあくまで「革新」に対する準備・地ならしの意味であって、新たな企てそのものを含むわけではない。

 まったく興味がない内容。

 で、『ノヴム・オルガヌム』は、アマゾンで4980円。
 岩波文庫だよ。253ページの。定価は520円の。
 たしかに、まぁ「読んでおいたほうがいい」部類の本ではあるが。
 520円なら買うが、4980円は無理。
 というか、翻訳しなおしてくれないかな?
 「をば」という言葉が多用されているのがイヤだ。

 ↓『ウィキペディア』フランシス・ベーコン
人間の陥りやすい偏見、先入観、誤りを4つのイドラ(idola 幻像)として指摘し、スコラ学的な議論のように一般的原理から結論を導く演繹法よりも、現実の観察や実験を重んじる「帰納法」を主張したもので、近代経験主義の道を開いた(イギリス経験論)。

 『ノヴム・オルガヌム』の内容は、↑これ。
 イドラと帰納法。

 ↓『コトバンク』idola
哲学用語としては姿とか像を意味するラテン語のイドラidola(単数形idolum,英語のアイドルidolの語源)の訳語であるが,ルネサンス期にG.ブルーノが本当のものを見えなくさせる先入見の意味でこの語を用い,ついでF.ベーコンが〈人間の知性をとりこにしている偶像〉を分析して,人類なるがゆえに人間本性にひそむものを〈種族の偶像idola tribus〉,個人のもつ先入見を〈洞窟の偶像idola specus〉,社会生活から起こる偏見を〈市場の偶像idola fori〉,学説から生じるものを〈劇場の偶像idola theatri〉と名付け,ありのままの認識が困難であることを示した。とくに生得的な偶像は取り除くことができないとベーコンは言っている。

 イドラによって自然そのもの(物自体)を見ていない。
 自然そのものを見るには(科学に必要なのは)帰納法。
 みたいな主張を『ノヴム・オルガヌム』でしていると思う。

 でも、
 ↓『ノヴム・オルガヌム』ベーコン/訳=桂寿一(岩波文庫)P249
中心課題であるイドラ説についても、その分類を放棄したように見えることなど多くの点で、未完成を思わせるものがある。

 帰納法についても「単純枚挙は本当の帰納法ではない」とするが、
 じゃあ、正しい帰納法ってどんなんよ?というのには答えていない。
 発想は良いんだけど、能力が不足していた感じがする。

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フランシス・ベーコン

 『ベーコン随筆集』訳=成田成寿(中公クラシックス)を半分くらいまで読んだんだけど。
 クソつまんない。

 ベーコンはイギリス人。1561年生まれ。
 ガリレオより3歳年上。デカルトより35歳年上。
 本業は政治家。

 ↓『ウィキペディア』フランシス・ベーコン
1607年に法務次官になったことを皮切りに順調に栄達し、1613年には法務長官、1616年に枢密顧問官、1617年には国璽尚書、1618年には大法官となる。大法官(貴族院議長)就任に際してヴェルラム男爵に叙され、貴族院議員となった。1621年にセント・オールバンズ子爵に叙された。

 でも、1621年に失脚。
 ↓『ウィキペディア』フランシス・ベーコン
(略)庶民院で訴訟関係者から賄賂を受け取ったという告発を受けた。ベーコンはこの告発を認めたが、判決には影響を与えていないと弁護した。当時、裁判官が贈物を受け取るのは普通のことであり、この告発には党派争いが絡んでいた。
(略)5月3日に判決が下り、罰金4万ポンド、国王の許可があるまでロンドン塔へ監禁、一切の公職就任禁止、議会出席・宮廷出仕禁止を言い渡された。こうしてベーコンは再度失脚、4日間ではあるが、5月末から6月4日までロンドン塔に閉じ込められもした。
以降はセント・オールバンズの領地で隠退生活を送って著述に専念した。ジェームズ1世の計らいで投獄は短期間で済み、罰金も年1200ポンドの分割払いに抑えられ、翌1622年にはグレイ法曹院の帰還やロンドン居住も許され、友人トビー・マシューにも支えられ傷心をいくらか癒すことが出来た。一方で知的好奇心と政界復帰の望みを押さえられず、しばしば国王や政府関係者に助言を書き送ったり名誉回復を願い出たりしながら、著作を続々と出版、『ヘンリー七世王史』(1622年)、『自然誌と実験誌』(1622年)、『学問の進歩』を増補・ラテン語版に訳した『学問の尊厳と進歩』(1623年)、『資料の森』(1624年)、『随筆集』(1625年、第三版)などを書き上げた。


 『随筆集』がつまらないのは、哲学的ではなく、政治的な話だからだろう。
 「政界復帰の望みを押さえられず、しばしば国王や政府関係者に助言を書き送ったり名誉回復を願い出たり」みたいな雰囲気を『随筆集』からも感じてしまう。
 「政治的に有能ですよ」というアピール。

 でも、『ベーコン随筆集』の解説で、
 ↓『ベーコン随筆集』訳=成田成寿(中公クラシックス)P3
(略)二十一世紀の現在を見るならば、哲学研究の現場に立ち会っている私の感触からして、『随筆集』も含めて、ベーコンはあまり読まれているとは言いがたい。

 ↓『ベーコン随筆集』訳=成田成寿(中公クラシックス)P5
 以上二つの、ベーコンがあまり読まれていない理由は、単に外面的なものにすぎない。それらは、冷静に説けば、覆すことができる。しかし、もっと根本的な、第三の、内面的な理由がありそうに思えるのである。それはまさしくベーコン哲学の核心に関わる。すなわち、ベーコンは、アリストテレス以来の学問の「道具」あるいは「機関」としての、三段論法を基軸とする、「演繹」的論理学に対して、私たちの経験や実験に基づいた「帰納」法をこそ学問の新しい「道具」・「機関」(すなわち「ノヴム・オルガヌム」)として位置づけるべきだとしたことで哲学史に名を残しているわけだが、そのこと自体が現在では評価に値しないという、驚愕すべき誤解が一部流布しているという、この点である。
 最大の問題は、「帰納」という方法に対する、蔑視とまではいえないにしても、偏向した軽視である。たとえば、一般的に、「帰納」は次のように規定される。「有限個の単称言明から一つの普遍言明へと、すなわち「いくつかの」から「すべての」へと進む推論は帰納的推論と呼ばれ、この推論の過程を帰納という」(チャルマーズ一九八三、『科学論の展開』、二五頁)。つまり、「この鯨は肺呼吸する」、「あちらの鯨も肺呼吸する」、「むこうの鯨も肺呼吸する」といったデータを収集して、よって、「すべての鯨は肺呼吸する」と結論づける推論、一般に「単純枚挙」と呼ばれる推論、が帰納法だと理解されているのである。これは、人々の理解の事実として正しいのかもしれない。しかし、哲学史的な学説の跡づけとしては、完璧なる誤解である。そもそも帰納法はベーコンが根本論理として最初に自覚的に導入した。しかるにそのベーコン自身が、「単純枚挙」による帰納を、子どもじみたものであり、結論はあぶなっかしい、と一蹴しているのである(『ノヴム・オルガヌム』第一巻第一〇五節)。


 そう、帰納法というのを、お前らは間違えている。
 でも、じゃあ本当の帰納法とは?というのには、ベーコンは答えていない。

 ベーコンはそういうヤツ。
 発想(帰納法と「イドラ」)は良いんだけど、能力不足。
 前口上ばかりで、本論が何もない。


 図書館に『ニュー・アトランティス』もあったから、借りて読んだが。
 『ニュー・アトランティス』は、未完のユートピア小説。
 ベーコンの死後、弟子が出版した。
 ベーコンが理想とする国家を描いたものだが。
 読んでみて、時間を無駄にしたというか、損した気分になった。
 まぁユートピア小説だからね。

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 新キャラ・ゲオルゲが追加された直後くらいの。
 その前に追加されたスカーレットは、けっこう使われている。

 先月のアップデートで、キャラを交換できるようになったり。

 経験値とゴールドは同じくらい入手するのに、使用するのはゴールドに偏っていて、
 「使い道のない経験値はどうするんだ?」と思っていたら、
 経験値をゴールドに交換できるようになった。

 あと、成長に必要な「魂」も、別の属性に(クリスタルを消費するが)交換できるように。

 このゲームの特徴は、気楽に育成の初期化ができるところ。
 育成に使った素材の90%は戻ってくる。
 キャラや魂が交換できるようになって、本当に自由になったと思う。

 どこに問題があるか分かっていて、改善してくるのが好印象。
 あとは、どうやって新規を増やすか?だろう。
 イベントは新規を基準にしたほうがいい。
 高レベルに合わせると、新規は手が出なくて、すぐにやめるだろう。

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新型コロナウイルス

 半分寝ながらフジテレビ『Mr.サンデー』を見ていた(聞いていた)んだけど。
 なんでも、第6波では肺炎になっていないのに基礎疾患が悪化して亡くなる人が多い、と。

 肺炎になっていないのなら、その死因に新型コロナは関係ないでしょ?

 寒さで血管が収縮するのが原因じゃないの?
 (寒くなっても体温を一定に保つために、血管が収縮する)
 血管が収縮することで、血栓になりやすくなったり、
 弱っている細胞(基礎疾患)に酸素が届かなくなったりするのでは?

 パルスオキシメータも寒いときは正確に測定できないときがあるらしい。
 それは寒さでパルスオキシメータが壊れるのではなく、
 寒さでも指の血管の酸素飽和度が低下するからだろう。
 パルスオキシメータは肺炎による血中酸素飽和度の低下を測定するためのものだから、
 寒さによる酸素飽和度の低下は測定ミスということで。

 というか、寒さでしもやけになるじゃん?
 あれは炎症を起こしているんでしょ?
 その原因は、寒さによる血中酸素飽和度の低下で。
 細胞が壊れて炎症が起きている。

 肺炎であろうと寒さであろうと、
 血中酸素飽和度の低下で身体に悪影響が出る。


 とにかく。お前らは前提が狂っている。
 上気道で感染しても、それは鼻風邪で死因にはならない。
 肺で感染すると肺炎になり、血中酸素飽和度の低下で、基礎疾患が悪化する。
 この場合も、新型コロナウイルスでの直接的な死亡ではなく、関連死。
 血栓で突然死になることもあるが、これも肺炎が原因だから、関連死。
 新型コロナウイルスでの直接死はない。
 それは従来の風邪ウイルスも同じ。

 現在は、
 (肺炎になっていないのだから)新型コロナは鼻風邪(上気道での感染)になっているだけで、
 (新型コロナ以前でも)高齢者に顕著な、寒さによる基礎疾患の悪化での死亡も、「コロナ死」とされているのだろう。

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